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京都地方裁判所 昭和41年(わ)583号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実

本件起訴にかかる公訴事実は、以下のとおりである。

被告人は、

一  昭和四一年二月一一日午後七時過ぎころ、京都市伏見区《番地略》・甲野栄食株式会社京都工場ナイフ保管庫内において、同社所有にかかる筋引きナイフ一丁(時価八〇〇円相当)を窃取した。

二  警察官を殺害して、けん銃を強奪しようと企て

(一)  正当な理由がないのに、同月一三日午後六時過ぎころ、京都市南区《番地略》の当時の自宅を出て、同日午後六時二五分ころ同市東山区本町一三丁目九条陸橋下東側路上に至るまでの間、刃体の長さ約二〇センチメートルの前記ナイフ一丁を携帯した。

(二)  同日午後六時二五分ころ、前記九条陸橋下東側路上において、警ら中の松原警察署一ノ端巡査派出所勤務巡査A(当時五一歳)を認め、突然背後から右ナイフで同警察官の背部、腰部等を三回突き刺し、その反抗を抑圧して、同警察官保管にかかる実包五発装填のSW回転式四五口径けん銃一丁を強取したが、強く抵抗されたため、同警察官に対し全治約六か月間を要する右肺部刺創、右腰部刺創等の傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかった。

三  前記の如く警察官からけん銃を強奪後、被告人をしてこれまで自殺を繰り返させたり、精神病院に入院する等絶望的な人間となさしめ、かつ、被告人を白眼視していると思い込んでいたB子(当時三三歳)を殺害しようと決意し、前同日午後六時四五分ころ、京都市南区《番地略》のC方に赴き、同人方土間に入り、四畳半の部屋に座っていた同人の妻である右B子に対し、所携の前記けん銃で弾丸一発を発射し、同女の胸部に命中させて貫通銃創を負わせ、よって、同女をして、同日午後六時五九分ころ京都市東山区《番地略》・乙山病院において、右貫通銃創に基づく失血のため死亡させ、殺害の目的を遂げた。

四  前記犯行に引き続き、かねてより吝しょくにしてしばしば被告人の母D子を立腹せしめていた同女の弟Eの妻であるF子(当時三二歳)を殺害しようと決意し、前同日午後六時五五分ころ、京都市南区《番地略》の右E方に赴き、同人方土間に入り、四畳半の部屋に立っていた右F子に対し、所携の前記けん銃で弾丸一発を発射して、腹部に命中させ、よって、同女に対し全治約二か月間を要する腹部貫通銃創一個を負わせたが、殺害の目的を遂げなかった。

五  翌二月一四日午前八時過ぎころ、前記甲野栄食株式会社京都工場更衣室内において、G所有にかかるズボン一枚等衣類雑品計七点(時価二二〇〇円相当)を窃取した。

六  法定の除外事由がないのに、同月一三日午後六時二五分ころから翌一四日午後六時二四分ころまでの間、京都市内及び京都府綴喜郡内において、前記けん銃一丁を所持した。

第二  本件審理の概要

一  右のとおり、本件は、今から三〇年前に発生したもので、当時一七歳の少年であった被告人が、隣家の主婦らをけん銃で殺害することを企て、警ら中の警察官(A巡査)を襲って鋭利なナイフで刺し、重傷を負わせて、けん銃を強奪し、そのけん銃を用いて、隣家の主婦(B子)と義理の叔母(F子)に相次いで発砲し、主婦を殺害し、叔母に重傷を負わせるなどしたという強盗殺人未遂、殺人、殺人未遂等の重大凶悪事犯であり、事件は当時の京都社会に大きな衝撃を与えたものである。翌日被告人が犯人として逮捕されたが、本事件の犯人が被告人であることは証拠上疑いなく、事件の重大性に鑑みても、その刑事責任の確定が要請されるものであった。検察官は、起訴前の鑑定に基づき、被告人に犯行時責任能力があると判断して昭和四一年五月二八日起訴した。

二  ところが、公判開始後、証拠調べ中に、被告人は精神分裂病により刑事訴訟法三一四条一項にいう「心神喪失の状態」になって、訴訟能力(被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力)がないと認められ、起訴後四年近くを経過した時点で被告人に対する本件公判手続の停止決定がなされ、後記経過のとおり、以来約二六年間の長きにわたって審理が中断された結果、本件は起訴後三〇年六ヶ月を経過して一審判決に至るという異例の長期裁判となったものである。

第三  免訴の申立に対する判断

一  弁護人は、本件は、昭和四一年五月二八日に公訴が提起されて以来、平成八年七月一八日に公判が再開されるまで三〇年以上の長年月を要しているところ、審理がかくも著しく遅延したのは、被告人の責に帰せられない以下の原因によるもので、もはや憲法三七条一項で保障された被告人の迅速な裁判を受ける権利が侵害された異常な事態が生じているといえるから、被告人に対して審理手続を打ち切る免訴の判決を言い渡すべきであると主張する。

1  検察官は、被告人が本件犯行当時一七歳の若年で、しかも、起訴前の精神鑑定(昭和四一年五月一九日付け鑑定人水野精一による鑑定書)に基づき、被告人が精神分裂病により犯行時心神喪失あるいは心神耗弱の状況にあったと判断し得たのであるから、被告人を不起訴処分にし、措置入院等に付すべきであったのに、公訴権を濫用して被告人を起訴した。

2  裁判所は、公判開始後、鑑定人竹山恒寿の精神鑑定(昭和四五年二月二八日付け鑑定書)の結果に基づいて、被告人が心神喪失の状態にあるものと判断し、昭和四五年三月二〇日公判手続の停止決定をしたが、右竹山鑑定は被告人が本件犯行当時も心神喪失であったと結論していたのであるから、刑事訴訟法三一四条但書により、その段階で公判手続を停止せず、直ちに無罪の判決を言い渡すべきであった。

3  裁判所は、公判手続停止決定後の昭和四五年三月二七日、誤って国選弁護人を解任した結果、精神分裂病を患っている被告人に弁護人が付けられていない事態となり、被告人側から審理の打ち切りを求める等の機会を奪って、審理が遅延した。

4  公判手続停止後、被告人の精神分裂病の病態は重く、被告人の訴訟能力が回復する見込みがなかったにもかかわらず、検察官は公訴の取消をせず、また検察官が公訴の取消をしない場合、裁判所は手続を最終的に打ち切って、すみやかに免訴の判決をすべきであったのに、これらの措置を取らず、漫然と公判手続の停止を続けたために、被告人は公判手続停止後二六年間という日本の刑事裁判が始まって以来例がないほどの異常な長期間にわたって放置され、迅速な裁判を受ける権利を大きく侵害された。

二  そこで、本件審理の経過を記録によってみると、以下の事実が認められる。

1  被告人は、昭和四一年五月二八日、本件強盗殺人未遂、殺人等の罪により京都地方裁判所に起訴され、同年七月一八日第一回公判が開かれ、被告人から、公訴事実中、A巡査に対する強盗殺人未遂につき殺意を否認するほかは、全て事実を認める旨の被告事件に対する陳述がなされた。

2  昭和四一年八月一五日第二回公判において、国選弁護人猪野愈から、被告事件に対し、A巡査に対する強盗殺人未遂につき殺意を否認するほか、本件犯行当時被告人は精神分裂病に罹患していて、心神喪失か少なくとも心神耗弱の状態にあった旨の陳述がなされた。続いて検察官が冒頭陳述をした後、被告人の本件犯行当時の精神状態について心神耗弱の状態にあったと結論する水野鑑定人の精神鑑定書(以下「水野鑑定」という。)を含む証拠の取調請求をし、同意証拠の取調がなされたが、弁護人は、水野鑑定については証拠意見を留保し、被告人の本件犯行時の精神状態について鑑定を請求した。

3  昭和四一年九月五日の第三回公判において、不同意書証に代え、検察官請求の証人H(被告人が自殺を図り入院した病院の院長)、同I子(被告人が当初B子とともに殺害を企図していた相手)の取調等が実施された。

4  昭和四一年九月一四日、裁判所は弁護人請求の精神鑑定を採用する旨決定し、岡本重一(関西医科大学教授)を鑑定人に選任した。同月二六日の第四回公判で鑑定人尋問を実施し、被告人の本件犯行時及び現在の精神状態について鑑定を命じた。

5  岡本鑑定人は、鑑定の資料を収集するため、京都拘置所に勾留中の被告人に再三問診等を試みようとしたが、被告人の精神状態が憎悪し、緘黙または興奮状態、不潔行為、器物破壊を繰り返すなど極度の異常に陥って、問診等を行えず、鑑定意見を作成できぬまま、昭和四三年一月鑑定人の辞退を申し出たので、裁判所は同年二月二〇日岡本鑑定人を解任して、新たに丙川病院医師清水寿を鑑定人に選任し、同月二三日鑑定人尋問を実施して、同日被告人を丙川病院(神戸市)に鑑定留置した。

6  同年四月一七日、裁判所は更に東京慈恵会医科大学助教授竹山恒寿を鑑定人に選任し、同年五月九日同鑑定人に対する鑑定人尋問を実施して、清水鑑定人との共同鑑定を命じた。竹山、清水両鑑定人は鑑定書を約三ケ月の期間で作成する予定であったところが、昭和四三年二月ころから被告人の精神症状は一層悪化して、激しさを極め、鑑定留置先の丙川病院において、精神運動性興奮と昏迷状態を繰り返し、全裸になって、便器内で逆立ちしたり、食糞するなどの極端な異常行動や幻覚、幻聴、衝動的な興奮、器物破壊、不穏状態が次々に発現して、一進一退の不安定の病態が続き、容易に改善の兆しが見えず、そのため鑑定に必要な問診等が当初のころはできず、精神鑑定そのものが困難であった事情などから、鑑定書の完成が遅れ、竹山鑑定人は鑑定人尋問の実施後二年近く経過した昭和四五年三月一日被告人が本件犯行当時及び鑑定時点においていずれも心神喪失の状態にあるとする精神鑑定書(以下「竹山鑑定」という。)を裁判所に提出した。

被告人は右の如く鑑定中の昭和四四年当時において衝動的興奮と昏迷が繰り返し起こり、幻聴、被毒妄想、作為体験等が見られ、食べ物を水洗便所の中に投げ入れる、裸体で便器に頭を浸ける、表情固く意思疎通を欠く等の症状が続き、同年八月二六日鑑定留置期間満了により丙川病院からいったん京都拘置所に収監されたが、その後も意味不明の独語、空笑、興奮行動、終日徘徊、便器の水を飲むなど同様の症状が発現した。そして検察官の申請(通報届出)により昭和四五年一月になされた精神衛生法による医師の診断の結果においても、空笑、思考滅裂、感情鈍麻、目的不明の衝動行為、意志疎通不能の症状が見られて精神分裂病の欠陥状態にあり、措置入院が必要と判定されたことから、裁判所は、被告人を精神衛生法に基づいて措置入院させることを前提に、昭和四五年二月四日被告人に対する勾留取消決定をし、同日被告人は京都府城陽市《番地略》の丁原病院に措置入院した。

7  そして裁判所は、前記のとおりの被告人の精神症状からして、被告人が「心神喪失の状態」、すなわち訴訟能力を欠く状態にあるものと認め、公判手続を停止するについて検察官及び弁護人から「然るべく」との意見を徴した上、同年三月二〇日刑事訴訟法三一四条一項本文に基づき、「被告人が心神喪失の状態にあり、その状態の止むまで本件公判手続を停止する。」旨公判手続の停止を決定した。

8  同月二七日、猪野国選弁護人から裁判所に対し、本件につき公判手続が停止され、被告人の病状の回復が予想できないことを理由に、いったん同国選弁護人を解任し、被告人の心神喪失の状態が止んだ時点で、改めて国選弁護人に選任して貰いたいとの上申がなされ、裁判所はそれを容れて、同日同国選弁護人を解任した。

9  以後被告人は、昭和五四年一一月まで九年半余り、丁原病院に措置入院し、この間裁判所は丁原病院に対し、被告人の訴訟能力の回復状況について、検察官を通じて照会回答を求めるなどしたが、その結果では「病名・精神分裂病、精神分裂病に拘禁反応性要素が加わり、なお支離滅裂な内容を述べる。」(昭和四五年九月)、「公判出廷不可。」(昭和四六年七月)、「入院当初の支離滅裂思考等は認められないが、なお幻聴があり、病感病識を有しない。入院時に比べて軽快に向かっているが、なお病的体験あり、公判出廷は不可能。」(昭和四八年七月)、「入院時の支離滅裂思考、拘禁症状、幻聴等は消失し、次第に疎通性を快復して、全般に以前に比して改善してきたが、感情鈍麻が認められ、病感病識なく、寛解には至らず、なお長期入院を要する。」(昭和四九年七月)という状態が続き、被告人の精神症状は入院時以降改善傾向は見られたが、なお感情鈍麻等が認められ、病感がなくて寛解に至らず、訴訟能力が回復状態に至ったとは認められなかった。

昭和五四年一一月、被告人は京都市左京区《番地略》の医療法人戊田会甲田病院へ措置継続のまま転院し、以後平成八年二月二三日(鑑定留置)までの約一六年間、同病院に入院した。右転院後も、被告人の訴訟能力の回復状況を見るため、検察官は、平成五年七月までの間、被告人の入院先である甲田病院の担当医に対し、公判出廷が可能か否かについて、定期的に被告人の病状照会をし、それに対する医師の回答をその都度裁判所に報告した。それによると、「病名・精神分裂病、入院以来幻聴、関係妄想等の病的体験が発現し不安定、情意鈍麻があり、公判出廷は病状から無理である。」(昭和五六年)であり、昭和五八年ころ以降平成五年ころまでは、「幻覚、妄想などの病的体験は消褪しているが、過去の病的体験を充分に批判訂正することが不能であり、病識不確実で、真に安定した状況とはいい難い。また感情平板化、人間関係の狭小化など分裂病性の欠陥状態が見られる。」との症状があり、そのため「公判出廷は不可能とはいい難いが、出廷による心的苦痛から症状憎悪の可能性が充分考えられるので、裁判出廷の可否の判断は困難である。」という内容であった。

10  こうした状況が続いた後、平成六年一〇月に至り、検察官から裁判所に対し、「被告人の現在の精神状態は、公判手続を再開して審理を進めるに支障はないものと思料されることから、その判断資料とするためにも、被告人の精神鑑定を実施されたい。」旨の上申書が提出され、それに添付された甲田病院の担当医師からの被告人の病状、裁判出廷の可否等についての事情聴取報告書(平成六年九月)によると、「病名は精神分裂病。現症状としては幻覚、幻聴等の病的体験はなく、無口で閉じこもりがち、他人が悪口を言っているのではないかと気にする関係念慮が時々見られる。病状の段階としては軽解から更に改善された寛解との中間段階にある。開放病棟で生活し、六年程前から毎日送迎バスでゴルフ練習場の球拾い作業に従事し、時折弟方に外泊もさせている。感情移入は乏しいが、日常の意思疎通はできる。過去の出来事を想起し、それを評価することもできないとはいえないが、冷静に評価できるかは疑問である。裁判に出廷するとなると、心労から不眠、猜疑的、恐怖心が強くなる心配がある。」「裁判出廷については、医師の間でも意見が分かれており、現状のまま入院生活を続けさせるのは問題であり、被告人の現在の症状に照らせば、裁判手続を復活させて最終処分を受けさせるべきであるという意見がある一方、いまさら昔のことを蒸し返す必要はないという意見もある。」という内容であった。

11  裁判所は、検察官の右上申を受けて、平成七年三月二二日、新たに国選弁護人として高田良爾、渡辺馨両弁護士を選任し、検察官及び右弁護人と公判再開が可能か否かを決定するための鑑定など公判進行について数度の打ち合わせをし、その間、検察官及び弁護人が担当医師から意見等を徴するなどした。その上で、裁判所は、平成八年一月一八日、守田嘉男(兵庫医科大学精神科神経科学教室助教授)を鑑定人に選任し、同年二月一三日、同鑑定人に対する鑑定人尋問を実施して、被告人の現在の精神状態に照らし、被告人が公判期日に出頭し、自ら又は弁護人の援助を受けて、正当に自己の利益を防御できるか否か等について鑑定を命じたところ、同鑑定人は、同年五月一〇日付けで、「(一)被告人は現在精神分裂病に罹患し、まだ完全寛解に至っていないが、公判期日に出頭することは可能な状態にある。(二)しかし被告人には精神分裂病の慢性期症状としての感情鈍麻や思考内容の貧困、意欲の低下があり、本件犯行当時の被告人自らの精神状態を述べる場合、それらの症状は著しい障害になると考えられる。(三)また公判期日への出頭や被告人の身柄を勾留することで、直ちに被告人の精神状態を悪化させる可能性は少ない。」との鑑定書(以下「守田鑑定」という。)を提出した。

12  裁判所は、右鑑定結果を受けて、被告人が訴訟能力を回復した状態に至ったと認め、同年六月一八日、被告人に対する昭和四五年三月一〇日付け公判手続停止決定を取り消す旨の決定をし、平成八年六月二一日、被告人に対する公判期日(同年七月一八日、九月一九日)を指定し、右両期日において、水野鑑定書、竹山鑑定書及び守田鑑定書を取り調べ、被告人質問や情状証人の尋問等を実施して、本件の審理を遂げた。

三1  以上の審理経過のとおり、本件については、昭和四一年五月の公訴提起以来、結審に至るまで約三〇年四か月の長期間を要し、その間約二六年間にわたって公判手続が停止され、その審理が中断した。

しかし、公判手続停止前は、前記のとおり書証、証拠物、証人尋問等の証拠調べや被告人の責任能力の有無を判断するための鑑定人尋問など本件に必要な審理がなされていた上、岡本鑑定人に対する鑑定人尋問が実施された後、竹山鑑定人による鑑定書が提出されるまで約三年六か月間の期間を要したことも、その間被告人の精神分裂病の病状が著しく悪化し、鑑定を行うこと自体が困難であった等の事情に徴すると、やむをえないところと理解しうる。

そして昭和四五年三月二〇日に裁判所が公判手続の停止を決定したのは、被告人が精神分裂病より「心神喪失の状態」に陥り、訴訟能力を失ったため、刑事訴訟法三一四条一項本文により公判手続を停止しなければならなかったからである。

2  また前項で認定した経緯によれば、裁判所が公判手続の停止決定をした時点において、被告人が刑事訴訟法三一四条一項本文にいう「心神喪失の状態」にあったことは明らかであるが、一方被告人が本件犯行当時に責任能力を有していたか否かについては、弁護人と検察官の主張が対立し、同月一日に「被告人が本件犯行当時心神喪失の状態にあった。」とする公判段階の竹山鑑定書が裁判所に提出されたものの、これらの取調べは、「被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあった。」とする起訴前の水野鑑定書の取調べと共に、未了の状態にあり、裁判所においては、さらに公判期日を開き、右水野鑑定書及び竹山鑑定書の取調べはもとより、必要があれば右各鑑定人の証人尋問のほか被告人質問等の審理を尽くさなければ、被告人の本件犯行当時の責任能力の有無について判断を下すことは困難であったと認められる。

刑事訴訟法三一四条一項但書に無罪の裁判等をすべきことが明らかな場合とは、既に公判廷で取り調べられた証拠によって無罪判決等をするのに熟している場合をいうから、本件公判手続停止決定の時点で、刑事訴訟法三一四条一項但書を適用し、被告人の出頭なくして直ちに無罪判決を言い渡すことはできなかったというべきである。

3  更に公判手続停止後も、裁判所は定期的に検察官を通じて被告人の精神状態に対する医師の意見を徴し、報告を求めるなどして、被告人の「心神喪失状態」の回復状況の把握に努めてきたが、その内容は、前記のとおり検察官の平成六年一〇月五日付け上申書までは、被告人の精神状態に照らし公判再開に否定的な意見が続いていたものである上、検察官が右上申書で公判再開の準備を求めた後は、国選弁護人を選任し、被告人の訴訟能力の有無について守田鑑定人に鑑定を求めるなど公判手続の再開に向けて必要な手続を進め、被告人が公判期日に出頭することは可能な状態との鑑定結果が出ると同時に、公判手続停止決定を取り消して、短期間に公判審理を遂げたのである。

4  確かに、本件については、昭和四一年五月の公訴提起後、公判手続の停止のため、約二六年間にわたって審理が中断し、起訴後結審に至るまで実に約三〇年四か月の長年月が経過しており、憲法三七条一項の迅速裁判の保障との関係が問題となる。

個々の刑事事件において、審理が著しく遅延し、憲法三七条一項に定める迅速な裁判を受ける被告人の権利が害されたと認められる異常な事態が生じた場合には、その審理を打ち切るという非常救済手段が取られるべきである。

しかしながら、審理の遅延が憲法の迅速裁判の保障条項に反するほどに被告人の迅速な裁判を受ける権利を侵害する異常な事態に至っているか否かは、遅延の期間のみによって一律に判断されるべきでなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむを得ないものと認められるかどうか、これにより憲法の迅速裁判の保障条項が守ろうとしている諸利益がどの程度実際に害されているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられるべきものである。

このような見地にたって本件の審理をみると、本件の公判が著しく長期化した原因は、専ら被告人の病気にあり、被告人が精神分裂病に罹患し、「心神喪失の状態」になって、法律上公判手続の停止を必要とし、しかもその病気が回復の難しい精神分裂病であったために、審理は長期間中断せざるをえなかったもので、本件審理の遅延は被告人の病気というまことにやむをえない事情によるものなのである。病気のために公判手続を停止し、審理を進めることができなかった約二六年を除くその余の期間は、顕著な審理の中断もなく、実質審理が継続していたものであり、公判手続停止までには被告人の本件犯行当時の責任能力に関する鑑定書等の証拠を除いて、証拠調べは殆ど完了しており、責任能力の点に関しても、本件犯行時の自らの精神状態を述べる被告人の捜査段階の供述調書や水野、竹山鑑定書等が既に存していて、公判手続停止による審理の中断によって被告人が防御上重大な不利益を受けたとは認め難いものである。

5  ただし、被告人の病気のためとはいえ、本件公判手続の停止期間は約二六年もの長きに及んでおり、この点を更に考えると、被告人が病気による「心神喪失の状態」で、訴訟能力を欠くと認められるときは、原則として公判手続を停止しなければならないが、しかしその後も訴訟能力が長期にわたり回復しないとき、裁判所としては、検察官の公訴取消がない限り公判手続を停止した状態を続けなければならないものではなく、その停止の期間が異常に長期にわたり、被告人が訴訟能力を回復する見込みがないと確定的に判断されるに至る等の被告人の状態によっては、その審理手続を最終的に打ち切ることができるものと考えられるし、またそのような措置を考慮すべきである。ただその場合、訴訟能力の回復可能性の判断は、とくに精神分裂病という寛解ないし治癒の困難な病気に罹患している場合、時間をかけた経過観察が必要であり、その審理手続の最終的打ち切りについては、事柄の性質上も慎重を期すべきである。

右見地から公判手続停止中の状況をみると、本件において、裁判所は定期的に検察官に被告人の病状等の報告を求めるなどして、その把握に努めていたものであるところ、守田鑑定等の証拠により認められるとおり、公判手続停止後、被告人の精神分裂病は一進一退の病態を経て、昭和五六年末ころまでには幻覚妄想、作為体験など精神分裂病の重い陽性症状は消失し、精神運動性の興奮はみられず、昭和五七年ころから外泊したり、病院外での仕事が可能となるなど、訴訟能力の回復までは至らないが、その精神状態は公判手続停止の開始時に比して全般に改善してきていたこと、しかし以後もそれまでの陽性症状と入れ代わりで被告人に感情鈍麻、無為、自閉等の症状が認められて、被告人の精神分裂病は寛解に至らず、そのため公判出廷は不可能とはいい難いが、さりとて出廷による心的苦痛から症状憎悪の可能性が考えられて、公判出廷の可否の判断は困難とされる微妙な状態が続き、平成六年ころに至りようやく公判出廷が可能なまでに訴訟能力が回復したと認められたものである。

そうすると、本件の公判手続の停止期間は約二六年と異例の長期に及んだが、この間もはや被告人が訴訟能力を回復する見込みがないと確定的に判断されて、その審理手続を最終的に打ち切るべきを相当とするような状態には、遂に至らなかったものである。

6  以上の次第で、右審理経過に照らせば、弁護人指摘の点を考慮しても、本件においては、憲法三七条一項の定める迅速な裁判の保障に反する異常な事態を生じ、もはや審理打切りをもって被告人を救済すべきを相当とする場合にはあたらないというべきであるから、弁護人の免訴の主張は採用できない。

第二  公訴事実に対する判断

一  本件公訴事実については、公訴事実三、四(B子、F子に対する殺人、殺人未遂事件)の犯行の動機としてあげられている部分を除いては、当公判廷で取り調べた関係各証拠によりこれを認めることができる。

二  殺意について

弁護人は、公訴事実二の(二)のA巡査に対する強盗殺人未遂事件について、被告人には殺意がなかったと主張し、被告人も殺意を否定する供述をしている。

しかし取調べ済みの関係各証拠によると、被告人が右犯行に使用した凶器は刃体の長さ約二〇センチメートルの鋭利な筋引きナイフであって優に人を殺害するに足るものである上、被告人は右ナイフを両手で逆手に持ち、A巡査の身体の枢要部である右背部を背後からいきなり突き刺し、さらに倒れたA巡査の背中に馬乗りになって、その右腰部等を突き刺すなどし、これによってA巡査に深さ約一八センチメートルに及ぶ脊髄損傷を伴う右背部刺創を負わせていることが認められるのであって、犯行態様が極めて危険かつ執拗であり、これらの創傷の部位、程度、凶器の性状、用法等からすれば、被告人にはA巡査に対する殺意があったと推認することができる。

第三  責任能力について

一  当事者の主張

弁護人は、「被告人が本件犯行当時、破瓜型精神分裂病に罹患し、その影響より心神喪失の状態にあった。」と主張し、これに対し検察官は、「被告人が本件犯行当時精神分裂病に罹患していたとはいえ、心神喪失には至らず、心神耗弱の状態にとどまる。」と主張し、その理由として、被告人の犯行は動機において了解可能であり、犯行経過も計画的であるうえ、変装や逃走行為など罪の意識に基づく行動規制が認められ、幻覚妄想による影響もなかったことを指摘する。

当裁判所は、関係各証拠を総合した結果、被告人は本件犯行当時精神分裂病により心神喪失の状態にあったとの合理的疑いが存すると判断する。その理由は以下のとおりである。

二  被告人の生育歴、犯行前の生活状態及び犯行の状況

取調べ済みの関係各証拠(水野鑑定、竹山鑑定、守田鑑定、C、F子、E、J、D子の各検察官調書及び警察官調書、K子、L、M子、N、O、P、Q、R、S、T、U、V、W、Xの各警察官調書、各捜査関係事項照会書、第三回公判調書中の証人Hの供述部分等)を総合すると、以下の事実が認められる。

1  被告人の生育歴

(1) 被告人は、昭和二三年四月二七日、京都市南区南山王町において、京都市北区土木事務所職員の父J(昭和六一年死亡)、母D子(昭和六〇年死亡)の長男として出生した。

(2) 昭和三〇年四月、京都市立乙野小学校に入学したが、小学校時代の成績は中位で、友人も多く、特別の事柄はなかった。

被告人一家は、昭和三一年、京都市南区《番地略》の二階建て倉庫をベニヤ板で四つに仕切った住居の一階東側を借りて住んだ。同建物一階西側にはC、B子夫婦、二階西側には叔父S、I子夫婦、二階東側には叔母K子一家がそれぞれ居住し、炊事場と便所は共同で使用していた。このうち、B子にあっては、被告人方との仕切りがベニヤ板一枚であったことから、テレビの音が大きいなどのことで母D子やI子と口論したり、共同炊事場でD子と口喧嘩したこともあったが、一方で被告人にパンや菓子をくれることもあり、被告人方とはおおむね通常の近所付き合いをしていた。S、I子夫婦は、被告人方とは親戚にあったものの、親しく口を聞くような仲ではなく、被告人も、I子に対し嫌悪感を露にしていた。F子は、D子の弟であるEの妻であり、被告人方から直線で北西に約五五〇メートルの距離にある京都市南区《番地略》の借家に居住していた。F子は、昭和四〇年一月にEと結婚したが、結婚前東京で働いていたこともあって、その言葉使いが母D子などに違和感を与えていたものの、被告人方とは特に問題のない付き合いをしていた。

(3) 被告人は、昭和三六年四月、京都市立丙山中学校へ進学したが、二年生から三年生にかけて無気力になり、親や教師に対し反抗的で、協調性に欠ける行動が目立つようになり、友達もおらず、怠学や単独での非行を繰り返し、昭和三八年一二月にはナイフを携帯していて警察官に補導されたが、精神障害と関連するような状況はみられなかった。

2  犯行前の生活状況

(1) 中学卒業前の昭和三九年一月、被告人は丁川工業株式会社の採用試験を受けたが、不採用となり、三月から戊原組で電気工見習として働き始め、四月には甲川商業高校定時制にも入学したが、体力的につらい、仕事が嫌になったとして、次第に休み勝ちとなり、同年六月ころ戊原組を辞め、定時制高校も欠席が多く、同年九月には中退した。

(2) 被告人は、中学を卒業したころから自分の部屋に閉じ篭もりがちとなり、勤労意欲を欠き、無為怠情な生活を続けては、家出を繰り返し、そこでも短期日就労しただけで帰宅し、ただ怠惰な日々を送っては、しきりに「死にたい。」「人生が嫌だ。絶望した。」「何のために仕事をしなければいかんのか。」などと言い出した。この間被告人は昭和三九年三月ころから睡眠薬を乱用し始めており、多量に服用して、昭和三九年中三回にわたって路上や山中で倒れ、病院に搬送された。そして家では一人で考えこんだり、意味のない独り言や空笑が見られるようになった。睡眠薬乱用に関しては、同年五月にブロバリン錠を多量に服用して、路上で倒れているのを発見され、病院に入院し、意識を覚醒後、再び自殺すると病院から逃げ出そうとし、同月と同年七月にも同様に多量の睡眠薬を飲み、倒れているのが見つかって入院した。同年六月には友人と家出し、大阪の飯場で働いたが、仕事が続かず、一〇日程で帰宅したが、「死にたい」と漏らし、少しの間働いたが、すぐまた家出した。定時制高校を同年九月中退後、再び家出して名古屋で働いたが、二週間で帰宅し、日々ぶらぶらとし、一二月には敦賀に家出して無賃乗車をし、連絡されて帰宅したものの、再び無為に過ごして何もせず、睡眠薬に耽溺する生活であった。そして易怒的になり、父親と喧嘩したり、意味不明の言葉を発しては、母親に手をかけたり、何事によらずよく八つ当たりした。

右のように昭和三九年に至り、被告人は睡眠薬乱用、それと区別しにくい自殺未遂の繰り返し、独語や空笑、家出、ごく短期間しか続かない就労、無為怠惰に過ごすだらしない生活等行動に異常が目立った。

(3) 昭和四〇年に入っても同様の無為の生活を送っていたが、三月二〇日、被告人は母親が表で洗濯している最中、自宅でプロパンガス自殺を図り、丁原病院に入院させられた。入院時抑うつ的で、無気力な状態が続き、同病院において、意思欠如型、抑うつ型の精神病質(人格障害)と診断され治療を受けた。八ケ月入院して、同年一一月ころまでに当初の抑うつ的状態がとれてきたため、同病院の医師から、被告人を強い監督下に置ける住込みの就職先を探すよう指導を受けて、同年一一月三〇日退院した。

(4) しかし、住込みの就職先を見つけられず、知人Nの紹介で同年一二月一三日から甲野栄食株式会社京都工場に勤務し、ソーセージ製造用の魚調理場で魚を運ぶ等の仕事に従事したが、魚の臭いが体に滲み嫌だとして、就労一ケ月足らずで、昭和四一年一月一六日ころからばったり仕事にいかなくなり、以後また自室で閉じこもり、食事も不規則で、殆ど外出せず、顔色も悪くなってきたところ、一月三〇日には安全カミソリで左手首を切る自殺を図った。二月に入って態度に一層奇妙な点が見られ出し、同月五日甲野栄食を正式に辞めた後、家に閉じこもり、食事もろくに摂らず、終日万年床にもぐって、怠惰に過ごし、何を見るでもなくテレビのチャンネルをやたらに切り替えたり、落ち着きがなく、唐突な行動をとり、おかしくもないのに空笑するなどの症状が現れたことから、被告人が手首を切ったことを二月六日に知った両親らが、そのような様子を見て、被告人を再入院させようと相談をしていた矢先、一一日から一三日にかけて本件犯行が起こった。

3  被告人の本件犯行の状況

(1) 被告人は、隣家のB子とI子の両名を殺害することを決意し、二月五日に辞めた甲野栄食京都工場に良く切れるナイフがあるのを知っていたことから、そのナイフで刺し殺そうと考え、二月一一日夜、同工場に侵入して、公訴事実一の犯行(同工場での筋引きナイフの窃盗)に及び、右ナイフを自分の寝床の下に隠した。

(2) しかし、翌一二日、右ナイフで刺し殺すと返り血を浴びると考えて、もっと簡単にけん銃で殺すことを思いつき、そのため警察官を襲いナイフで刺して、けん銃を奪い取ろうと決心し、翌一三日、被告人は昼ころに起床して、テレビを見たり、銭湯に行くなどして過ごし、午後五時ころ夕食をとった後、母D子に三〇円もらってセメダインを三本購入し、これを顔面に塗って変装し、学生服の上に半オーバーを着用した上、同日午後六時ころ、「友達のところに行くんや。」「今六時過ぎやなあ。七時ころには帰る。」と言って、テレビを見ている家族の者に顔を背けるようにして外出し、同日午後六時二五分ころ、公訴事実二の各犯行(ナイフの不法携帯及びA巡査に対する強盗殺人未遂)に及び、警ら中のA巡査を襲って、背後からナイフを突き刺し、同巡査のけん銃を奪った。

被告人は右夕食時、母D子が被告人宅を訪れた叔父Eに対し、「F子さんの細かいのもええくらいにせい。」と同人の妻F子の態度に不満を洩らしているのを聞いていた。

(3) 被告人は、A巡査から奪ったけん銃を所持し、着用していた半オーバー、マフラー、筋引きナイフを捨てた上、同日午後六時四五分ころ、C方に赴き、屋内にいたB子に向け、無言でけん銃を発射して、公訴事実三の犯行(B子射殺)に及び、B子を殺害した。

(4) B子を射殺後、被告人は、I子も同様に撃ち殺すつもりであったが、けん銃の大きな発射音に驚き、I子殺害を忘れて、夢中でその場から逃走し、その途中母D子が当日F子に対する不満を言っていたことを思い出して、にわかにF子殺害を決意し、同日午後六時五五分ころ、E方に行き、屋内にいたF子に向け、無言でけん銃を発射して、公訴事実四の犯行(F子に対する殺人未遂)に及んだ。

(5) その後、被告人は、甲野栄食京都工場に行き、自殺する目的で同所の冷蔵室内に入り、二回にわたってけん銃の銃口をこめかみにあてたり、凍死自殺しようとしたが、死に切れないまま一夜を明かし、翌一四日午前八時過ぎころ、同工場のロッカー室に入って、公訴事実五の犯行(衣類の窃盗)に及び、窃取した右衣服を着て変装し、京都府綴喜郡井手町付近まで逃走したが、寒さと空腹のため逃走を断念し、同日午後六時二四分ころ、京都府田辺警察署井手警部補派出所に近づいたところで警察官に逮捕された。

三  被告人は、本件犯行を遂行した動機について、捜査段階で以下のとおり供述している。

1(1) B子は、口のやかましい女で、ことさら同女方のテレビの音を大きくしたり、夜ベニヤ板一枚を隔てた隣のC方からB子の大きな声がよく聞こえてきてイライラさせられた。中学校一、二年のころ、自分が物差しを貸してやったのに、礼も言わずに放って返したり、道で顔を合わせても、自分を必要以上に見つめたりすることがあり、ひどく馬鹿にされて、腹が立った。共同炊事場で、B子が母と口論していたので、B子を殴ろうとして飛び出していったこともあった。B子には、大事な中学一、二年ころから気分をイライラさせられることばかりで、腹の立ち通しであり、その声を聞くのも顔を見るのも嫌だった。また、中学時代怠学したり、就職試験に落ちたり、仕事が手につかないのもB子のせいだと恨んでいた。

(2) I子については、共同炊事場で何度も大きな音をたてるので、わざとしているのではないかと腹が立った。I子は、必要以上に大きな物音をたて、そのため、気分がイライラし、勉強も思うようにできず、自分を神経質な人間にした。

(3) こうして同女らの態度や言葉に気分をイライラさせられ、それが気に障って耐えられず、「このままやったら自分が狂ってしまうか、二人を殺してしまうかどちらかになる。」と苦しんで、勉強が手に付かず、仕事も続かず、家でも落ち着かず、何度も自殺未遂や家出を繰り返し、精神病院に入院するなどした。そうして自分が世の中に認めてもらえない駄目な人間になってしまったのも、元を糺せば、B子やI子のせいであると思うと、考える程頭にきて、腹立ちが納まらず、甲野を辞めてから急に殺してやろうと思うようになった。二人を殺せば何もかも解決すると思った。B子とI子を殺して、そのあと自分も自殺しようと考えた。そして二人を殺す道具に何がよいかを考えた末、甲野の会社によく切れる肉切り包丁があることを思い出し、それを盗んで二人を刺し殺そうと思った。そのために公訴事実一の犯行(ナイフの窃盗)におよんだ。

(4) しかし、包丁だと返り血を浴びると考え、もっと簡単に殺す道具はないかと考えていると、巡査がけん銃を持っているのが頭に浮かんだ。そのため、けん銃を手に入れようと考えた。B子らを殺すについても、顔を見られるとまずいので、セメダインを顔に塗り、学生服の上にオーバーを着て変装した。その上で、公訴事実二の各犯行(A巡査に対するけん銃強奪等)に及んだ。

(5) その後、公訴事実二の(二)の犯行現場の近くに公衆電話ボックスがあったので、そこからA巡査が被害通報するかもしれないと考え、当初は翌日にB子とI子を殺すつもりであったが、予定を変えて、その日のうちに二人を殺すことにした。そこで、途中で捕まらないようオーバーを脱ぎ捨てるなどして変装した上、B子方に行き、公訴事実三の犯行(B子射殺)におよんだ。

(6) 右犯行後、けん銃の音が大きかったので、驚いたのと、近所の人に捕まえられると思ったことから、I子を殺すことは忘れて、その場から逃走したが、逃げる途中、一人殺したのだから何人殺すのも同じだと思った瞬間ふと、その日母がF子のことを怒っていたのを思い出し、そんな悪いF子ならついでに殺してやれと決心し、F子方に行って公訴事実四の犯行(F子に対する殺人未遂)に及んだ。

(7) その後、甲野工場の冷蔵室に入り、自殺しようと凍え死ぬのを待ったが、死ぬことができないうちに、背骨が痛んできたので、死ぬのをあきらめて外に出て、変装するため更衣室に入って公訴事実五(衣類等の窃盗)の犯行に及び、盗んだ服を身につけて変装し、徒歩で逃げ延びようとしたが、夕方になって寒くなり、空腹でフラフラになってしまい、自首しようと田辺警察署井手警部補派出所に出頭した。

2  被告人の右供述は当初から一貫しているうえに、その供述経過、供述自体とくに自己の精神の異常を装うような作為的な形跡は認められない。これによると、被告人はB子、I子に対する嫌悪感、被害感から犯行に及んでいるものである。

四  逮捕後現在に至るまでの被告人の状況

1  逮捕後、被告人は昭和四一年三月六日から鑑定留置され、水野鑑定人の問診等を経たが、それによると、被告人の状況は以下のとおりであった。

身体的所見に異常はないが、脳波検査の結果、器質的異常を示す所見が認められた。挙措の異常は見られず、礼容に欠けず、質問の理解に欠陥なく、一見判然と精神障害を思わせるところはないものの、子細に観察すると表情が硬く、問診中しばしば了解不能の異様な空笑が見られるなど異常が認められた。問診において記憶障害はなく、思考の漏出(精神分裂病に見られる症状)等は見られず、幻覚、妄想、作為体験等も認められなかった。知能テストの結果は知能指数九九であり、知的欠陥は認められない。

2  被告人は、昭和四一年五月二八日に起訴され、竹山鑑定人が選任され、同鑑定人は昭和四五年三月に鑑定書を裁判所に提出したが、その間に実施された竹山鑑定人による問診等の結果によると、被告人の状況は以下のとおりであった。すなわち、被告人は昭和四三年二月から翌四四年八月まで丙川病院に鑑定留置されたが、入院当初から不穏状態で、姓名、年令等を述べられず、この間拘禁の影響が認められる支離滅裂な緊張病型興奮状態を示して、前記の如く水洗便器内等で逆立ちを繰り返し、目まぐるしく徘徊多動し、敬礼を繰り返す等常同衒奇行為、破衣行為があり、全裸になり、意味不明の独言、食糞をするなどの異常行動、幻覚、被害的妄想、不潔行為が見られ、鑑定期間中治療にかかわらず、右に呈した病的反応は容易に改善されず、問診に対して被告人の表情は茫然として硬く、周囲を警戒的に見て、空笑や口内独言があり、突然衝動的に駆け出し、また思考に錯乱が見られた。

3  昭和四五年二月被告人は丁原病院に措置入院となり、昭和五四年甲田病院に転院し、平成八年二月から鑑定留置のため乙原医大病院に移り、この間昭和五六年末に至って幻覚や妄想等が消失し、翌五七年措置入院を解除されて、病院から集団外勤作業に出るようになり、昭和六二年ころからゴルフ練習場での玉拾いの作業に従事していた。乙原医大病院で鑑定留置中になされた守田鑑定人の問診等の結果によれば、被告人の症状は以下のとおりであった。すなわち、鑑定人の問診に対して応答できるが、表情の動きは乏しく、感情の表出は時折見せる微笑のみであり、自らの犯行への感情移入は著しく乏しく、感情の変化も伴わず、態度の動揺も見られない。同様に父母の死去についても、悲哀や後悔の言葉はない。しかし支離滅裂な思考や記憶の障害はなく、幻覚や妄想などの病的体験や精神運動性の興奮等の症状は見られないが、感情鈍麻や自閉等の症状は残っている。

五  水野、竹山及び守田各鑑定の内容

本件犯行当時の被告人の病状及び精神状態について、水野、竹山、守田鑑定は、以下のように述べる。

1  水野鑑定

(1) 被告人は、中学三年生ころから怠学、喫煙、自殺企図、家出等の問題行動が相次いで発現し、就職しても続かず、家庭において意欲を欠いた無為でだらしない生活を続ける一方、些細なことで興奮激昂する行動が続き、そのころから急に精神状態に異常が生じたと見られる上、恐喝、ナイフの携帯等の反社会的行動が存することからも、被告人の精神障害は、単なる性格異常(抑うつ性精神病質)ではなく、内因性の精神病(躁鬱病、精神分裂病)と判断される。

(2) 激越な興奮、他人からの金品喝取行為、本件の如き殺人等の行為を意識清明のままに行うことなどは躁鬱病に見られる症状ではなく、B子やF子に対し被害念慮を持っていたと認められる点を考えると、被告人の精神障害は精神分裂病と判断でき、被告人はこれを中学三年生ころに発病し、本件犯行時も精神分裂病に罹患していたと認められる。

(3) 精神分裂病には破瓜型、妄想型、緊張病型の三種に分類できる典型例と、必ずしもこれらに分類できない非典型例がある。被告人は、幻覚妄想がなく、緊張病性症候を欠き、その発病時期、情動の鈍麻、意欲の低下等からして破瓜型に近似しているものの、中学三年の発病以来三年を経た段階でも、なお人格の変容がなく、意思疎通可能で、礼容に欠けず、動作機敏で数々の能動的、反社会的行為に及ぶなど、内閉的傾向を持つ破瓜型には見られない外向的攻撃性が存し、これからすると、被告人は、非典型的精神分裂病の類破瓜型(破瓜型に似てるが、人格崩壊が緩徐)に罹患していたと判断できる。

(4) 結局、被告人は中学三年生のころから非典型的精神分裂病(類破瓜病)を発病し、これにより、学習、勤労意欲を減退し、飛躍的な思考や激越な興奮を来し、道徳感情の低下から非行を続発し、一層人間的疎隔を助長して、気に入らないB子、I子に対する敵意は被害念慮(他人が自分を陥れようとしている等の被害的な内容の考え)の対象となり、それが飛躍して殺してしまえとの殺意に転じていったもので、精神分裂病本来の症状である道徳感情の低下により、殺人行為という目的に対して抑制が殆ど作用しなかった。そのため、B子ら殺害の着想(決意)に続いて、警察官のけん銃を奪って殺すという手段を簡単に思考し、同女らに恨みを抱いたにせよ、他の手段に訴える思案もなく、直接的に殺人を決意して、躊躇逡巡するところなく、更に犯行の隠蔽等についても殆ど考え及ぼしていない。一方損なわれていない知的能力は、右殺人の目的を完遂するために、かなり周到な計画を立てさせて、警察官を襲ってけん銃を奪わせ、容易に殺人に走らせる行動に及んでいるものである。その結果、本件犯行当時、被告人の是非善悪を判断する能力は、右非典型的精神分裂病のため、失ってはいなかったが、幾分かは損なわれており、是非善悪の判断に基づいて行動する能力も、幾分か障害されていたものである。

2  竹山鑑定

(1) 被告人は、昭和三八年(中学三年)ころから次第に人格の崩れを見せ始め、怠学、単独非行を発し、昭和三九年春ころから睡眠薬乱用等を繰り返し、希死念慮が衝動的に出没し、自殺企図が現れ、同年夏ころから独言や空笑が見られ、また、そのころからB子、I子ら周囲の特定人物に対して嫌がらせをされるという関係被害妄想的な曲解を持つに至った。ガス自殺未遂行為があり、自発性、疎通性がなく、無為という状態が観察されていた。これら被告人の人格の崩れは精神分裂病と判断するに相応しいものであり、感情鈍麻、思考錯乱、自閉、関係被害的妄想、独語、空笑等の病的表出を呈する破瓜型精神分裂病にほぼ一致する。

(2) 本件犯行は全く病的に発生した妄想に基づくものではない。被告人はその住宅事情や母親がB子、I子に対する不満を述べ、敵対感を露にしていたことにも影響されて、関係、被害的な曲解を深めていったと考えられる。被告人が当時精神分裂病の病態を呈していたことは確かであり、その妄想形成が了解可能な事情を核として固まっていった。当時の被告人の精神状態は、着想に突飛な点があって、それを実行するに際しては秩序だった行動がとれているところに特徴がある。すなわち、B子らに嫌がらせをされるから、殺してしまおうと考える。それで肉切り包丁を盗み出し、包丁の代わりに警察官のけん銃を奪うことを思い立ち、その際接着剤をつけて変貌しようと考え、それらを着々と実行する。B子を撃ちながら、憤慨し曲解の対象となっていたI子には向かわず、F子方に行き、同女から金をせしめるためといいながら、しかし行って、いきなり射撃している。その後凍死という奇抜な自殺手段を考えたが、背中が痛くなると、工員の服装に変装して逃走している。不自然な着想と確実な行動の連続である。着想の尋常でない点に注目すると、その精神障害の重さに気がつくが、行動が秩序立っている点だけを見ると、その精神障害は重篤でないように思われたりする。

(3) 被告人は、前記のとおり精神分裂病に起因する妄想的曲解によって本件犯行を発想し、実行したものであって、本件各犯行当時の被告人の精神障害の程度は、是非の弁別や弁別に従って行動することを期待することは困難であったと認められる。

3  守田鑑定

(1) 被告人は、昭和三九年から四〇年にかけて、希死念慮の存在をうかがわせる睡眠薬の乱用、自殺未遂、度重なる家出、仕事が長続きせず、無為怠惰な日々を送ってきたことなどの行動を繰り返していて、この時期をもって精神分裂病を発病したものと認められ、以後現在まで継続している。

(2) 被告人の場合、被害妄想、関係妄想と幻聴体験、短絡未熟な思考と了解不能の衝動で本件犯行に至っており、その犯行は、精神分裂病という全人格を侵害する精神障害によるものである。

六  責任能力の判断

1  以上の認定事実及び水野、竹山及び守田各鑑定の内容を総合すると、被告人は、中学三年時の昭和三九年ころから人格に崩壊の徴候を示し始め、怠学、単独非行、家出をするほか、希死念慮が衝動的に出没して睡眠薬乱用、自殺企図を繰り返し、日常生活においても友人とほとんど接触なく、家に閉じこもり、自閉的で、無為怠惰な生活態度(情動の鈍麻)がみられ、また「B子、I子の嫌がらせのために自分は気が狂ってしまい、人生が目茶苦茶にされてしまう。」等という強い関係、被害妄想的な曲解(分裂病性の荒唐無稽な思考、解釈)を示し、突然意味不明の言を口走ったり、落ち着きなく、衝動的な行動が見られ、また独語、異様な空笑が発現するなど精神分裂病の特徴的症状を示しており、これらからすれば、被告人は、右各鑑定が揃って指摘する通り、昭和三九年ころ、精神分裂病を発病させたものと認められる。なお、被告人は、逮捕された後、昭和四五年二月措置入院となるまでの間、前記のとおり、激越な緊張病性興奮や昏迷状態の症状を示しているが、これは、竹山鑑定の指摘するとおり、拘禁反応的症状が加わったものと理解し得るのであって、これをもって被告人が精神分裂病に罹っていたとの認定は左右されない。

2  被告人は、前記認定のとおり、昭和四〇年三月母親がいる所でガス自殺を図り、入院治療を受けて、いったんは症状が落ち着いたように見えたが、同年一一月退院後、医師の指導に従って通院や服薬することをせず、間もなく入院以前と同様の自閉的な生活状態に戻って、昭和四一年一月中旬からは仕事にいかなくなり、また家に閉じこもり、同月三〇日には手首を切って自殺を図り、無為、怠惰、落ち着きのない唐突な行動、異様な空笑などの症状がまた顕著に現れ出し、逮捕後にはさらにその症状が急速に憎悪し、治療にかかわらず、拘禁反応的要素も加わって、前記のとおりの緘黙、興奮状態、不潔行為、幻覚、妄想等の症状を呈しているものであって、これらからすると、被告人は、本件犯行当時、その精神分裂病が急性的に悪化していく過程にあり、病態としても決して軽くなかったものと推認できる。

3  そして被告人は、本件犯行の動機について、前記のとおり供述するところ、その劣悪な住宅事情からB子らのたてる物音に気になり、また母D子がB子やI子と口喧嘩したことがあったりし、それらから同女らに嫌悪感を抱いたとしても了解できないではないが、B子から被告人にパン等をくれることもあり、双方の家は概ね普通の近所付き合いをしていたものであって、通常であれば、被告人の嫌悪感は殺意にまで発展するような程度のものとは到底思われないし、その嫌悪感が殺意に発展する契機となるような事件も認められない。加えてB子らの行為とは無関係であるはずの被告人の怠学や就職の失敗についても、B子らの責任に結び付けて考えたり、同女らを殺害すれば、何もかもうまくいくなどと不可解な思考をしている。このように被告人がB子らに殺意を抱いた過程には「不自然な着想」(竹山鑑定)、あるいは「短絡未熟な思考」(守田鑑定)があることが明らかであり、「気に入らぬという二人の女性に対する敵意は心理的投射によって被害念慮の対象と化し、これは全く飛躍的に殺してしまえという殺意に転じ」(水野鑑定)ていることが認められ、結局右殺意の発想には、精神分裂病の病状が大きく影響し、その結果被告人は、B子らに対する妄想的曲解(解釈)に基づく思考の下で、了解不能の衝動により殺意を発生させているものである。

さらにその殺害実行の経過を見ても、被告人は、B子らを殺害する手段として、当初包丁で刺し殺すことを決意し、元の勤務先から筋引きナイフを盗み出しながら、ナイフで刺すと、返り血を浴びてしまうことを考えると、唐突に「巡査がけん銃を持っている姿が頭に浮かび」、けん銃で射殺することを思い立ち、躊躇逡巡することもなくA巡査を襲っていること、しかし同巡査のけん銃を強奪しながら、公衆電話ボックスが近くにあるのを見て、通報されることを考えると、予定を急遽変更して、その日のうちにB子らを殺害しようと決意し、直ちにB子方に行って射殺しながら、けん銃の発射音に驚いて、I子殺害を忘れてしまい、その場から逃げ出したものの、途中でにわかにF子の殺害を思いつき、同女に対しけん銃を発射に及んでいるのである。これによると、被告人は、いずれも、その場での思いつきとも評すべき動機によって重大な犯行を重ねており、そこに見られる被告人の行為は、その貫徹性の点でも通常人には了解不能な常軌を逸したものと認められるのである。そうした状態の下で、周囲の状況や行為の是非についての考慮判断は全くなされておらず、その行為が社会的に是認されるか否かも、被告人には意味をなさないものであったと考えられる。とりわけF子の殺害を企てた犯行について、被告人は、B子やI子ほど嫌悪感を有していなかったF子に対し、犯行当日母D子がF子の不満を言っていたのを思い出したことだけで、一人殺すのも二人殺すのも同じで、F子が悪い女なら殺してしまおうと思った旨述べるが、これ自体、犯行動機として極めて唐突で、合理性必然性をおよそ欠いたものである上、後に竹山鑑定人に対しては、その犯行動機につき、「一寸、お金をまきあげようと思った。二、三万。」など全く異なった説明をしていることなどからすれば、被告人がF子に対する殺意を抱いた過程は、ますます不可解である。加えて、被告人が、竹山鑑定人の問診の際、「可哀そうなのに、なぜ、(B子を)やってしまったのか。」と尋ねられて、「もう仕方なかった。わからへんけど。でも、やらないほうがいい。」などと答えているが、これからすると、B子殺害についても、充分な説明ができないでいるのである。そうすると、被告人は、「不自然な着想」(竹山鑑定)の連続、あるいは被告人自身も充分説明できないような動機によって本件犯行を重ねている点が見られ、「被害、関係妄想とおそらくは幻聴体験、短絡未熟な思考と了解不能の衝動で本件犯行に至った」(守田鑑定)ものであって、これには、「病気(精神分裂病)本来の症状である道徳感情の低下」(水野鑑定)が作用していると見ざるを得ないと考えられる。

これらの検討結果からすれば、被告人は、本件犯行当時、精神分裂病が急性的に悪化の過程にあり、病態が軽くなかったうえに、精神分裂病によって持たらされた被害念慮に起因する嫌悪感が核となって、突然B子らに対する殺意を形成し、その実行準備のために包丁を盗み出して後は、前記の不可解な動機形成によって、衝動的に本件各犯行を短時間のうちに敢行していったもの、すなわち、B子らの殺害を決意する程の切迫した事情があったとは認められないのに、罹患した精神分裂病の強い影響によって、抑制力が失われ、B子らに対する妄想的曲解(解釈)をして、殺意を発想し、それに基づく衝動行為として本件各犯行が敢行されたと考えられるから、被告人は、竹山鑑定が指摘するとおり、本件犯行当時、是非を弁別する能力及びそれに従って行動する能力を失っていた疑いがあると認めるのが相当である。

4  検察官は、本件犯行の動機について、「被告人はB子方などベニヤ板一枚を隔てる隣家の騒音に悩まされ、また母親はB子と口論が絶えず、I子とは仲が悪く、被告人は同女らの言動に悩まされて、勉強も思うようにできず、就職に失敗するなど挫折を繰り返した事情から、同女らを深く恨むに至った。」もので、かかる被告人の生い立ち、生活環境に加え、精神分裂病の影響により、本件犯行が敢行されたものであり、犯行の動機はそれなりに了解可能であること、犯行を遂行するにあたり、殺害目的を達成するのに合理的な犯行計画を立てて実行しており、また犯行後捕まることを慮って変装し、逃走を図り、自責の念から派出所に出頭しようとするなど犯行時自己の行為の意味を理解し、罪の意識を有していたことを示す行動があることから、被告人は自己の行為の是非の弁別し、それに従って行動する能力を全く失っていたものではないと主張する。

しかしながら、本件犯行の動機については、前項で詳しく検討したとおりであって、検察官の指摘する事実を考慮しても、B子の殺害企図については、その着想に余りにも不自然な飛躍が見られ、また、F子の殺害企図等その余の犯行については、むしろ行き当たりばったりの突飛な着想に基づいて一連の行動をしていると考えられ、検察官自身が認めるように、「精神分裂病の影響が被告人を本件にかりたてた」と見るべきであって、行動はおよそ唐突で過激に過ぎ、その必然性に全く欠けており、本件犯行はその動機が客観的に了解可能とは到底言えない事案である。

また、被告人の行動中には、計画性や犯行隠蔽、逃走行為が見られることは検察官指摘のとおりであるが、精神分裂病は、道徳感情の低下ないし情意の鈍麻に病気本来の症状があり、この道徳感情の低下のためには殺人行為という目的には抑制がほとんど作用しない一方、精神分裂病であっても損なわれていない知的能力は、その犯行目的のために、右の如き一見周到な計画性を生み出すのであり(水野鑑定)、その犯行は、不自然な着想と確実な行動の連続であるが、着想の尋常でない点に注目すれば、その精神障害の深さに気がつくが、行動が秩序立っている点だけを注目すると、精神障害の程度はそれほど重篤でないようにも見え、精神分裂病による犯行には、そうした不一致が見られるのである(竹山鑑定)。被告人の場合も精神分裂病ではあるが、知的能力は障害されておらず、従って本件犯行が計画的であり、変装や犯行後逃走等の行動をしていても、そのことが是非を弁別し、それに従って行動を制御する能力の認定が左右されるものではない。検察官の主張は、右の障害されていない知的能力、あるいは行動が秩序立っている点のみに注目するもので妥当といえない。また検察官は、被告人が典型例精神分裂病の破瓜型であるとしたことについても論難しているが、被告人が竹山鑑定のいう破瓜型精神分裂病であっても、水野鑑定にいう類破瓜型精神分裂病であっても、具体的に現れた被告人の行動、症状から前記の結論を導き得るものである。

5  なお水野鑑定は、本件犯行について被告人の精神分裂病が大きく作用したとの点については、ほぼ竹山鑑定と意見を同じくしながら、犯行時被告人の是非弁別能力及びそれに従って行動する能力が完全には失われていなかったと結論づけている。しかし、その鑑定意見中で、被告人の行為制御能力について、その罹患した精神分裂病本来の症状である道徳感情の低下によって「殺人という目的には抑制が殆ど作用するところなく」との見解まで示しながら、右のような結論に至った推論過程が水野鑑定には記載がなく、その根拠理由が判然としないのであり、水野鑑定の結論をもって、被告人が本件犯行時心神喪失の状態にあったとの疑いは動かない。

第四  以上のとおり、被告人は、本件犯行当時、精神分裂病に罹患していたため心神喪失の状態にあったとの合理的疑いが存すると見るべきである。従って、被告人の本件行為は、心神喪失者の行為として罪にならないから、刑事訴訟法三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田清臣 裁判官 岩倉広修 裁判官 奥野寿則)

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